日本の食文化が大きく変化し始めた江戸末期から明治初期、「角田新兵ヱ」は、大坂木津邑にて“金時人参、天王寺蕪”など、現在、「なにわの伝統野菜」と呼ばれる農産物を栽培し(歴史資料や、口伝から推測)、行商や大阪天満青物市場で販売していました。その後、新兵ヱの孫の新太郎が、農産物を売り歩きつつ、素材と味を吟味した料理の仕出し「う越新」を始めます。大正十四年のことでした。
より新鮮な素材を求め戦後は一時期仕出しと共に木津卸売市場で魚の卸売りを営みます。昭和32年には、新太郎の長男「照夫」が「う越新」を後継、昭和41年には「株式会社 うを新」を設立します。現在、料理仕出し専門店「木津 うを新」は、先祖が栽培していた、おいしくて体にやさしい「なにわの伝統野菜」をより多くの方に味わっていただくために伝統の味を現代に蘇らせています。