メニュー。大阪(天王寺)の老舗料理仕出し専門店、木津うを新。

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うを新の歴史

古より、なにわの伝統野菜を知り尽くしたうを新だからお届けできる味

日本の食文化が大きく変化し始めた江戸末期から明治初期、「角田新兵ヱ」は、大坂木津邑にて“金時人参、天王寺蕪”など、現在、「なにわの伝統野菜」と呼ばれる農産物を栽培し(歴史資料や、口伝から推測)、行商や大阪天満青物市場で販売していました。その後、新兵ヱの孫の新太郎が、農産物を売り歩きつつ、素材と味を吟味した料理の仕出し「う越新」を始めます。大正14年のことでした。

より新鮮な素材を求め戦後は一時期仕出しと共に木津卸売市場で魚の卸売りを営みます。昭和32年には、新太郎の長男「照夫」が「う越新」を後継、昭和41年には「株式会社 うを新」を設立します。現在、料理仕出し専門店「木津 うを新」は、先祖が栽培していた、おいしくて体にやさしい「なにわの伝統野菜」をより多くの方に味わっていただくために伝統の味を現代に蘇らせています。



昔の木津難波魚青物市場(魚類部)の光景
浪速区史より引用
木津の由来
推古天皇元年に、四天王寺建立の際、諸国より建築用の木材が木の津の地に着したとの事。後、木津と称す。現在の大国町、敷津町一帯を言う。当地には、他地域に見られぬ珍しい姓の人がある。例えば、徳珍、茶珍、鍋釜、雲雀(ひばり)、碇(いかり)、鰯(いわし)、法西、法覚、普賢、仏坂、覚道、改正、鈍宝、綿帽子、目蓮(めれん)、言美(ごんび)、言飛、道圓、道願、法心、鯛天、三條場、仁丹、妙玄、太真、成舞、浄閑、正月、十石、弓場、古銭、など。難波、木津の土地の有力の人に多い。(浪速区史より引用)



沿革と歩み
嘉永〜安政 「角田新兵ヱ」出生。(戸籍から)
安政〜明治 「新兵ヱ」大坂木津邑にて“金時人参、天王寺蕪” など現在なにわの伝統野菜」である農産物を栽培していたと思われる。
明治後期 「新兵ヱ」長男「亀松」「なにわの伝統野菜」など農産物を栽培し行商や大阪天満青物市場で販売する。
大正初期 「亀松」の長男「新太郎」大阪みなみの割烹「みやこ」で料理の修業に入る。
大正14年(1925)   初代の「新太郎」少なくともこの年には木津邑を拠点に行商で農産物を売り歩きつつ料理仕出しと寿司を始める。屋号を新太郎の「新」を採り「う越新」とする。
戦中 戦中の一時期休業。
戦後         仕出しと共に一時期木津卸売市場で魚の卸売りをする。
昭和32年(1957)   新太郎の長男「照夫」「う越新」を後継。
昭和41年(1966) 「株式会社 う越新」を設立。
昭和45年(1970)   新太郎の次男「貞吉」寿司部門を分離し、寿司店を開業。「う越新」料理仕出し専門となる。
昭和61年(1986) 「照夫」三男「守」料亭へ修業に入る。
平成 6年 (1994)   宝橋調理施設建設。屋号を「木津 うを新」、登記名を「株式会社うを新」に変更。
平成14年(2002)   11月25日「守」「うを新」を後継。
平成15年(2003)   先祖が栽培していた「なにわの伝統野菜」を石橋明吉氏の助言により料理内容に取り入れる。
平成18年(2006)   11月1日天王寺区堀越町に新社屋を建設し調理施設と本社を統合移転する。
平成25年(2013)   WebShop“uwoshin.net”オープン。






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